KENGA EGG
早稲田を2012年に卒業し、メーカーに就職した人のブログ。メインはツイッター@ken_802。
たまに気になったことをポストします。
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「不景気は若い世代の責任ではない」ということはよく言われる。上の政策とか考えるオ偉イサマ方は、そう考えて施策を万事尽くすべきかもしれない。ここでは、制度の話ではなくてあえて個人の話をしよう。
若い世代は、「今の環境はあなたのせいじゃない」と言われようと、それを安易な自己肯定に結びつけるべきではない。文句言ったって、社会環境は変わってくれないのだから。結局、自分のケツは自分でまくるという姿勢は忘れちゃいけない。
それに、新卒一括採用以外のルートだっていくらでも世の中にはある。よくある話を言えば、バイト先で正社員の誘いを受けることなどがあげられると思うけれど、とにかく現状を打破するためには足を動かすしかないときだってある。
うだうだ言ってないで、とりあえずまだ受験勉強や新卒採用というゲームが変わっちゃいないんだから勉強と就活という、目の前のことは一生懸命やるべきだと思う。
世の中が大変っていくら言ったってうまくやれるヤツはいる。要領のよさももちろんあるかもしれないけど、見せてないだけで、どれだけその人たちの背後に血のにじむ努力があるかは想像に難くないだろう。
社会のせいにして、「自己責任じゃないんだから」なんて甘えず、やれることを探して、それをどうこなしていくか、考えていくべきだろう。自己責任と片づけられる世の中なんだから、自己責任で努力するしかないゲームだと、個人のレベルでは認識を変えるべきだ。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120309-OYT1T00332.htm?from=tw
(※制度として「セーフティネット」を整えることは重要と考えていますが、あえて今回は個人の話に焦点を絞っています。制度の話はまた別の機会に。)
先月放送された、朝まで生テレビでは「若い世代の幸福」について語られていた。古市憲寿氏の『絶望の国の幸福な若者たち』を叩き台にしたものだった。
学生団体であったり、サークルであったり、学生時代の前半まで色んなところで活動していた僕にとって、すごく思うことがあったので、ここで書き記しておこう。
この本の概要を、ものすごくおおざっぱに要約するとのこのようなものになると考えられる。
「若い世代は、今の幸せしか見えていない。不安をいくら煽られても、どれほど恐ろしいものかなんてのはわからない」
日本は、世代間格差が統計上は拡大している。将来は絶望的で、若い世代がワリを食っている事実もある。しかし、若い世代は『今自分が幸せだ』と答える。なぜなら、将来が絶望的だとしても、ボランティアでも、ネット上の活動でも、幸せを見つけるためのツールはたくさんあるのだから。
この問題は、2つの矛盾から主に起こっている。
まず、将来に不安があったとしても、その不安が具体的にはわからない。年金がもらえないとか、この国の財政赤字がヤバいって言われたって、それが自分達の生活にどう直結するかなんてわからないのだ。
一方で、サークルでみんなで一生懸命新入生集めのためにあくせくしたり、ボランティアに行って少しでも人の役に立てたという実感を持てたり、自分の発言がリツイートされまくったりすることで、「今は自分は楽しい」し、「人に認めてもらえる」って思える。いくら将来の不安を煽られたって、今「楽しい」と思えることが多いと、自分の将来のことを真剣に考えるきっかけがないのだ。
現実を知らない若者の例として、自分自身の体験談をあげておこう。
これは僕自身の肌感覚でも非常にわかる。先ほどにも述べたように、僕もたくさん色んな活動をしてきた。本当に楽しい時間を過ごさせてもらえたことは多いし、色んな人にお世話になった。
僕は学術系のサークルで勉強会をやったり、トークイベントとして自分達でディスカッションを生放送したりという活動をしていた。無論、そういうところにいたもんだから、若い世代がいかにワリを食っているかなんてのは話としてはもちろんわかっていた。何せ、意識が高かった(笑)ものだから。
だが、それは具体的に「自分が実際にその立場になりうる」という実感なんてなかったのだ。就職活動で、僕はその「現実」をはじめて経験することになった。頭でわかっていても、現実にぶち当たった時、自分はどうすればいいのかわからなかったのだ。それなりに大学で一生懸命勉強して議論慣れしていたし、経済学や思想のちょっと小難しい話もわかるし、雇用難なんて、多分自分には関係ない話だと思っていた。もちろん、本読んでわかったつもりになってたり、見通しの甘すぎた個人的な僕自身の問題があったことはここで指摘しておく。
けれど僕は、就職活動でそんな自信はボロボロにされた。一体最終的に、何社祈られたかわからないが、自分自身がこんなに弾かれるなんて、プライドばかり高かったゆえに、想像もつかなかったのだ。就職活動なんてぶっ壊したくなる気持ちもすごくわかった。
冷静に考えてみれば、企業は今、グローバル化(※)という厳しい競争に晒されているのだから、その競争で勝ち抜くための人材がほしいに決まっているのだ。それを考えずして、目先の議論の楽しさにおぼれていた自分自身がいたことを実感せざるを得なかった。好むと好まざるに関係なく、今そのゲームに参加させられているのだ。
(※)勘違いされたくないので付言しておく。最も、グローバリゼーションはどう考えても不可逆な現象なので、この時代は所与として考えるべきだと個人的には考えている。だから、このゲームの否定をするデモ、社会運動の類には同意できないことのほうが多く、方法論としては別のやり方を考えるべきだと思っている。
周りの友達がみんな決まったけれど、なかなか就職先が決まらなかった頃、若い世代の雇用難はの自分にも襲い掛かってくるのだということを僕は初めて実感した。社会に弾かれるってこんなに精神的にキツイのかとも思った。
頭でわかったつもりでいることと、現実にそれに出くわすことは違う。
(僕は今のところは普通に大学を出て社会に出るから、レールの上を走っているし、「恵まれた立場の人間の戯言」にこの経験談は聞こえる人もいるだろうが。)
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物事は、第三者の目から見る視点と、自分自身が当事者になる視点とでは大きく違う。あれこれ好き勝手自由に言える第三者と、自分でその現実の具体的な問題を何とかしなければならない当事者。
自分自身の経験からも思うことは、若い世代は「第三者」の目線から「将来はヤバいらしい」程度にしか見ていない場合が多いのではないだろうか。なぜならば、今が「楽しい」し、その問題の「当事者になる」とは、考えられていないから。
そう今、若い世代は「社会のことがよくわからない」からこそ、「幸せ」とアンケートに恐らく答えているのである。生まれたころから不況しか味わってこなかった世代だし、いくら「ヤバイヤバイ」と煽られても、感覚がマヒしている。
僕だってこの国の恐ろしさが自分にどう降りかかるかわからない。上記の自分の体験はきっと、その片鱗を見ただけだろう。そんなことはわかっている。
少なくとも、僕個人の考えでは、現在若者は幸せかもしれない。けれど、それは不確かな将来の実感を持たない幻想にまみれたもの以外の何物でもないのではないのだろう、と思う。
そして、若い世代は就職活動や雇用不安にさらされて初めて、この時代のキツさに気づき始める。それがきっと今の現状なのだ。
(追記)なお、勘違いされたくないので繰り返しますが、僕はこの記事をあくまで現状分析の一つとして実体験をまじえて書いたつもりです。若い世代がこうした「将来の恐ろしさが見えてない」現状がある中、僕は政治運動を推奨するつもりはありません。むしろこの中で「どう生き抜いていくか」を個人個人が考えるべきだと思っています。
(出典: amazon.co.jp)
本屋でたまたま、上記のタイトルの本をみつけて読んでいた。(スケベ心があったことは、ちょっとした秘密なのだが) やましい気持ちなんてすこしもないんだから!y
この前、NHKにも穂花が出ていてつらい過去を独白していたりしていたと思うけれど、性産業に携わる人間は、社会的な弱者の扱いを受けることが多い。
肉親からの幼少からの虐待、レイプ・・・etc。
だが、この集英社から出たインタビュー本では、むしろものすごく楽しそうにAVという仕事をしている彼女らのあり方だった。赤裸々な、自己表現としてのセックス。
ステレオタイプ的な観念を少し破られたように感じたが、ここで考えなければならないのは、2点ほどあると思った。
①社会的観念から逸脱する勇気はどこからきていたのか。
②ある意味、理性よりも性的な本能に語りかけるのがAVだと考えられる。この場合の表現とは、誰に対しての、何の表現なのか。(動物性とか、単純なことではなく)
この変が、すごく気になるところ。
かじり程度にも社会学をやっていた自分は①が気になる。
実社会で「まとも」と言われるコミュニティから逸脱しても、別の社会のコミュニティでの承認があるからこそ、揺るがないものになっているのか。はてまた、まったく別の超越的なインスピレーションから、そこに入ることを決めたのか。
このときのインスピレーションは、どこから沸いたものなのか。
AV女優から見える社会。考えてみると、結構面白いものでした。
(英エコノミスト誌 2011年3月5日号)
元チャンピオン企業がプライドを捨て、海外のライバル企業と提携している。
日本の電機メーカーはかつて国力の縮図であり、20世紀後半の消費者向け技術を規定した。ソニーはトランジスタラジオとウォークマンを開発した。ノート型パソコンの大量生産を最初に始めたのは東芝だ。1915年に考案したシャープペンシルから社名を取ったシャープは、他社に先駆け太陽電池や液晶ディスプレーを開発した。
これらの企業は、国内で効率的な業務を運営し、そこから西側諸国に大量に製品を出荷することで富を築いてきた。
しかし、世界が変わり、日本のハイテク企業は後れを取った。各社はあまりにも長い間、コストの高い日本で付加価値の低い生産活動を維持し過ぎた。国内の顧客を満足させようと、海外の顧客には意味のない高性能を追い続けた。新興国市場への参入も遅かった。
NECと日立製作所の過去10年間の総資産利益率は2%前後だ。日本は昨年、テレビとステレオの純輸入国に転じるという驚くべき逆転も経験している(もっとも、梱包にはしばしば日本のブランド名が刻まれている)。
ここ数カ月間、電機メーカー各社は業務を外部委託したり、業績の悪い部門を売却したりして事業の見直しを始めた。その中で、かつてなら自分たちより劣ると見なしただろうアジアのライバル企業と提携している。
米IBMがパソコン事業をレノボに売却したのは2005年。NECは6年遅れてレノボと手を組み、パソコン事業から一部撤退することになった〔AFPBB News〕
最も大きな変化が起きているのは、業績不振が最も著しいNECだ。同社は2月25日、液晶パネル子会社の株式の70%を中国航空技術国際(AVIC)グループに売却することで合意した。
その数週間前には中国のパソコンメーカー大手レノボと合弁会社を立ち上げ、パソコン事業から一部撤退している。
レノボとの提携は、これまでの失敗を暗に認めるものだ。日本で20%の市場シェアを誇るパソコン国内最大手のNECも、世界市場のシェアは1%に満たないのだ。
今回の提携はIBMがレノボにパソコン事業を売却してから6年後のこと。これだけの遅れは、NECがより多くの損失を抱え込み、その分、事業価値が下がったことを意味している。
東芝は12月に一部のロジックLSI(大規模集積回路)の生産を外部委託すると発表した。韓国のサムスンがその業務の一部を請け負うことになる。フラッシュメモリーなどで激しく競合する相手と手を組むという東芝の決断は注目に値する。
EMS(電子機器受託生産サービス)世界最大手である台湾の鴻海精密工業(フォックスコンとしても知られる)も触手を伸ばしている。ソニーは昨年、メキシコとスロバキアのテレビ工場の経営権を鴻海に売却し、同社に生産を移転した。現在ソニーが販売するテレビの半数は「資産軽減戦略」に基づいて他社が組み立て作業を行っている。1年前、その割合はわずか20%に過ぎなかった。
鴻海は、シャープとも一部の液晶パネルの生産委託について協議していると噂されている。また、携帯電話用の小型液晶ディスプレーを製造する日立ディスプレイズにも、経営権取得を打診しているという。
相次ぐ提携は、台湾や韓国、中国の企業が日本勢に追いついたことを物語っている。また、こうした外国企業が、強烈なライバルであると同時に有益なパートナーにもなり得るということを、日本人が自覚したことの表れでもある。
こうした提携によって、日本企業は資本集約型で薄利な事業(規模は必要だが、製品はほとんど差別化されていない)から撤退できる。また、自由になった日本企業は各種製品を販売する高級ブランド企業、関連サービスの提供者となり、さらには次世代機器を開発することに専念できるようになる。それが日本勢の望んでいることだ。
日本の電機メーカーは依然、イノベーションの強者だ。NECは2月に、海外企業との提携を発表するとともに、世界一薄い携帯電話(7.7ミリ)と世界初となる生体認証のための非接触型指紋・指静脈読み取り装置を開発したことを明らかにした。
特にNECが再生を遂げるのはまだ遠い先の話だろうが、日本企業の技術力は、彼らが第一線を離脱したとはまだ考えない方がいい、ということを意味している。
(2011年3月8日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
前原誠司氏の辞任で、民主党政権は3人目の外相を探すことになった〔AFPBB News〕
おっと、また日本の大臣が辞任した。この1年半足らずの間に、日本の民主党政権が擁した首相は2人目、財務大臣は3人目だ。
そして今、小さな政治資金スキャンダルで前原誠司氏が外務大臣を辞任したことで、政権は3人目となる外相を探している。
政治評論家が確かな後任候補の名前を挙げられないことは、民主党内の人材不足を示す嘆かわしい証拠だ。
忘れないでほしいが、これは政治主導と官僚支配からの脱却を公約に掲げた政党の話だ。舵を取るリーダー不在の状況で、政治家たちはこれまで以上に、(保守志向が強すぎるとはいえ)専門知識豊富な官僚に頼っているというのが悲しい現実である。
訓練を積んだ官僚組織に恵まれていなかったなら、日本は本当に深刻な事態に陥っていただろう。内政も外交も、危険なまでに迷走していた恐れがある。ありがたいことに、政治家がメトロノームのような規則正しさで就任と辞任を繰り返しても、政策の眼目は概ね一貫性を保っている。
では、指導者が次々代わることは問題なのだろうか?
外交政策の面では、確実に影響がある。リーダーシップの欠如は、日本の信用低下を意味する。一貫性が保たれているとはいえ、日本は漂流する危険に直面している。日本政府は今、新しい状況に適応しようと苦闘しているからだ。
民主党は米国および中国との関係を等距離に保つという原則を掲げて政権の座に就いた。これは、日米間の防衛同盟関係と新たな日中関係との間のバランスを取ることが求められる微妙な概念だった。
日本の政治体制が問題に対応できる状況になかったため、尖閣ショックは必要以上に長引いてしまった〔AFPBB News〕
この政策は暗礁に乗り上げてしまった。中国との関係は、むしろ後退した。その顕著な例が、日本の施政下にあるが、中国も領有権を主張する尖閣諸島(中国名は釣魚島)で昨年起きた外交騒動だ。
両国間の緊張をヒートアップさせたのは、中国側の姿勢によるところが大きかったかもしれない。
だが、当時やはり政権を揺るがす危機に見舞われていた日本の政治体制も、問題に対応できる状況になかった。その結果、「尖閣ショック」は必要以上に長引き、日中関係がさらに悪化する事態を招いた。
前原氏は、菅直人首相の有力後継候補と見られていた。菅首相自身も就任わずか8カ月にして辞任の圧力にさらされている(こうなることは必然だったのかもしれない)。
前原氏は、辞任要求を断固としてはねのけることもできただろう。今回の政治資金問題は、前原氏が日本で長く暮らす在日韓国人から3000ドル相当の献金を受け取ったというものだ。これは日本の偏狭な法律では違法に当たる。
前原氏の早々の外相辞任は、首相として政権に復帰する可能性がわずかながら残されたことを意味している。問題は、その頃には、日本の首相がどうなるかなど誰も気にしないのではないかということだ。